特集: 極東ロシアの小さな村

第7回 森とクラスニヤール村

モーターボートの旅でたどり着いたウリマ基地は極東ロシア原生林のど真ん中、 アムール川の支流ビキン川の中流に位置します。

私がそこで見たかったものの一つが巨大なケードル(朝鮮五葉松)、 この木は極東ロシアの森林資源を代表するする木であり、 周辺に生きる生き物や人々の営みに深く結びつき様々な恩恵をもたらしている一方で その価値ゆえに問題の発端ともなっています。

森の生き物の王様が虎であるならば、植物の王様はケードルでしょう。



ここで少しクラスニヤール村の歴史を振り返りながら森林と 人間とのかかわりを見つめてみたいと思います。

現在、クラスニヤール村を形成する人員の大半を占めるウデヘ族(混血を含む)は、 正式な記録はありませんが数百年前からビキン川の流域に定住していたと考えられています。

当初、家族単位の小さな集落として点在していたウデヘ族が現在のクラスニヤール村に集められたのは、 1958年、役場、学校、病院などが建てられました。それは同時に 国->地方->村 という大きな国家の 成り立ちの一部になるという事を意味していますが、かといって この年にいきなりウデヘ族がソ連政府の支配下に吸収されてしまったというような急な話ではなく、 それより以前にもウデヘ族はソ連兵として第二次世界大戦に徴収され戦い、 政府の管理する集団農場などにも従事してソ連国民の一員としての役割をはたしてきたそうです。

ですから、20世紀のウデヘ族のアイデンティティーはすでに、ロシアを形成する他民族の一つであるウデヘ族としての誇りと、 ソ連国民、現在はロシア国民としての誇りを持った二本柱という事になります。

ウデヘ族の生活の糧は狩猟と彼らの生活に必要な木材の伐採、畑の収穫や川魚の漁で、これは 彼らがビキンに定住し始めたころから今に至るまでさほど変化のないものですが、 20世紀終盤から彼らの生活に大きく変化をもたらしたのは外界からの伐採者(伐採業者)の侵入でしょう。



そして、その問題に少なからず関わっているのが日本、極東シベリア産材木の日本通関統計への初登場は、 日露戦争後の1896年となっています。

極東シベリア、ロシア地区の植生は日本の北海道や東北と類似しているので、 日本人が必要とする木材も当然そこにあったわけです。

1988年に約90万ヘクタールあったケードルの成熟林は1993年には12万ヘクタールに減少。 わずか5年で85%ものケードルの林が伐採されたというロシア沿海地方森林局の資料がありますから、 ここ百数十年の間にはかなり大規模な伐採があったことが推測されます。



(写真 タイガフォーラム野口氏提供)

当然、その期間ウデヘ族やクラスニヤール村の人たちも自分たちが祖先から受け継いで 生活の糧を提供してくれていた森を守るために幾度となく伐採会社やソ連、ロシア政府との望まぬ攻防に巻き込まれました。



特に村人にとって「大きな戦い」と言われているのは、1992年に韓国の多国籍企業の伐採オファーに 安請け合いをした知事との攻防です。

クラスニヤール村の代表者たちがクラスニヤール村の代表者たちがビキン川上流のタイガと 400キロ離れたウラジオストックの沿海地方政府庁舎の前でウデヘ族の民族衣装を着て抗議の狼煙を上げました。



伐採促進派の沿海州地方知事と反対派の州議会との訴訟に発展したこの問題は、 結果的に1992年の秋にロシア最高裁が伐採の一時停止を命じ、多国籍企業を発端とした伐採計画を 少数民族の権利という視点から守ったロシアの中でも歴史的な出来事となります。

1992年のこの出来事以外にも2〜3年に一度は起こる伐採計画への反対運動は、 常にクラスニヤール村の村民が前面に立っています。

WWF,グリーンピース、各国NGOなどがいくら守りたい自然や援助したい問題があろうと、 当事者(この場合はクラスニヤール村の村民)がそれを主張しない限りは活動の動機づけができません。

ところがクラスニヤール村のウデヘ族はずっと自分たちの権利を主張し保護団体の協力も得ながら、 未だに祖先から受け継ぐ自分たちの活動地域(東京、神奈川、千葉、埼玉を合わせたよりも少し小さいくらいの範囲)を 守り続けているのです。

1992年の戦い?!のときにヘリコプターでウラジオストックに飛んだ反対運動の立役者の1人は、 紛れもない私のホストマザー、ナターリヤさんですし、私を真冬のロシアの森に案内してくれた 勇敢な猟師のセルゲイカルーギンも当時二十歳にして、そのメンバーでした。

また、彼らは実際に伐採の計画地となった森の中に何日も籠城して、伐採会社の侵入を拒むというゲリラ戦さながらの抵抗も してきたそうです。

  クラスニヤール村の人や猟師たちを見ていると、淡々と生活をこなしている中のひとりひとりに、 高倉健や菅原文太ではないかと思うほどのにじみ出るキャラクターを感じます。

20世紀に生きる少数民族は厳しい自然のみならず、資本主義や政府とも戦い続けなければならないジレンマの中に生きています。 その人生の厚みがおのずと表情に表れるのでしょう。

そして、そのジレンマは油断をしたらすぐに彼らの日常生活や生命、ウデヘ族としての誇りにも直接的に影響を及ぼします。



私たち日本人にも日々突きつけられる問題や不満はあります。けれども自分の国の出来事でありながら、 実際にはそのほとんどがメディアの向こう側の何重ものフィルターを通した出来事ととらえがちです。

日々流れるニュースを明日の民族の存続にかかわる事態とは考えにくく、ウデヘ族に比べると、 とても生ぬるい世界に生きているように感じることがあります。

ウデヘ族やロシア極東に住む少数民族が日々命を懸けて守っている森の木が、法的なものも違法的なものも含めて 日本の市場に出回っているのを知ると、いたたまれない気持ちになりますが、またその消費市場によって生活を 支えられているのも私達です。

昨年、某大手量販店がロシアからの木材の使用を環境保護の観点から辞退しましたが、 ロシアの木材を使用しなくなっただけで問題の本質は何も変わっていません。



まずは知る事から…いつかは誇り高きウデヘ族やケードルの木のように、 真っ直ぐに自分の足で立つマインドを持ちたいと願います。










【作者プロフィール】
相馬万里子
Hawaiian art and craft
mele mahina オーナー

Natural Solution 代表
デトックストレーナー

米国ISFN 日本ニュートリション協会認定
サプリメントアドバイザー