特集: flânerie(そぞろ歩き)
<四季折々の京都>
第17回 賀茂別雷神社(上賀茂神社)
3月に入ると底冷えのする京都もさすがに陽光が増し、
春の足音が聞こえてきます。
今回は、早春のどこかのどかな京都を味わえる
賀茂別雷神社(上賀茂神社)周辺をそぞろ歩きましょう。
京都市北区に位置する賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ・通称:上賀茂神社)は、
京都最古の歴史を誇る神社。
かつてこの地を支配していた古代氏族「賀茂氏」の氏神を祀る神社として、
賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに賀茂神社(賀茂社)といわれ、賀茂祭(葵祭)でも有名です。
ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されています。
アクセスは、京都駅、地下鉄北山駅から市バス「上賀茂神社」行きなどが便利。
バス停からまずは、一ノ鳥居に向かいましょう。
上賀茂神社の一ノ鳥居から二ノ鳥居までの参道両側には広大な芝生が広がっています。
何本か大きな桜も植えられた開放的な景観が見所です。
二ノ鳥居をくぐるとこの神社ならではの古式ゆかしい景観が広がっています。
最初に目に飛び込んでくるのが、円錐状の2つの砂の山、「立砂(たてずな)」です。
立砂は細殿前に作られ、神様が最初に降臨された上賀茂神社の北2kmにある神山を模して作られたとか。
現在でも鬼門や裏鬼門に砂をまき清めるのはこの「立砂」が起源とされています
細殿は皇族方が行幸される際や斎王が到着されたときに使われた殿舎です。
寛永5年(1628年)に造り替えられ、重要文化財に指定されています
境内には、その他、楽舎、橋殿などの文化財が点在しています。
そして奥に進むと楼門があり、その先は国宝の御祭神賀茂別雷大神を祭る本殿、権殿があり、特別拝観の
エリアとなっています。
本殿の西隣にあるのが、本殿と同規模、同様式の権殿です。これは式年遷宮で本殿を建て替える時などに、
神様を一時的に遷しておく為の仮殿で、こちらも本殿と同時期に造替されることになっています。
上賀茂神社には多くの摂社、末社があります。多くは上賀茂神社境内にあり、中でも筆頭摂社である
片山御子神社は「縁結びの神様」としても古来から有名。
紫式部が何度もお参りしたことでも知られています。
片山御子神社(片岡社)は、上賀茂神社の御祭神「賀茂別雷大神」の母君である「玉依比売命」を祀ったお社。
玉依比売命は賀茂族で最も権威の高い女性で、「賀茂別雷大神」に仕えて祭司を司っていたと言われているそうです。
紫式部が詠んだ和歌の歌碑には、「ほととぎす 声まつほどは 片岡の
もりのしづくに 立ちやぬれまし(新古今和歌集:第三巻 夏歌)」とあります。
今度は、上賀茂神社のバス停付近に戻り、室町時代から上賀茂神社の神官が代々住んでいた住居「社家(しゃけ)」が
よく保存されている町並みを歩いてみましょう。
社家は上賀茂神社の一ノ鳥居の東側にあり、上賀茂神社から流れ出た奈良の小川が明神川と名前を変えて、
各社家の前を流れています。この地域は伝統的建造物群として保存地区に指定されています。
この町並みの中に、上賀茂神社のおみやげとして有名なのが「すぐき」の名店「なり田」があります。
ところで、「すぐき」は京都を代表する漬け物の一つ、優れた発酵食品で、その起源は桃山時代まで遡ると言われています。
上賀茂神社の神官が社家で自家用や贈答用に栽培したのが始まりで、
江戸時代まではすぐきの種も漬け方も門外不出で「すぐき」を食べられるのは皇族や公家など上流階級だけという
貴重な漬け物だったとか。明治以降一般農家にもすぐきの種や漬け方が伝わり、一般庶民でも口に出来るようになったそうです。
一方バス停の西側には、上賀茂神社の「やきもち」で知られた創業130年という老舗「神馬堂」があります。
「やきもち」の歴史はすぐきほどではなくとも、結構古く、江戸時代には上賀茂神社の門前であんこが入っていない餅を
販売していたという記録が残っています。江戸中期以降、上賀茂神社で行われる「葵祭」に合わせてあんこを入れた
やきもちを販売するようになり、次第に門前菓子として「やきもち」が有名になったといわれています。
古の京都の姿を彷彿とさせる上賀茂神社周辺をぶら〜りフラヌリしてみませんか?
のびやかな景観が都会の緊張をいやしてくれるでしょう。
DATA
賀茂別雷神社(上賀茂神社)
京都府京都市北区上賀茂本山339
TEL: 075-781-0011
http://www.kamigamojinja.jp/
「御すぐき處京都なり田」
京都市北区上賀茂山本町35番地
TEL::075-721-1567
http://www.suguki-narita.com/
「神馬堂」
京都府京都市北区上賀茂御薗口町4
TEL: 075-781-1377