ブラジルとペルー:世界遺産を巡る旅
Brazil and Peru: A tour around the World Heritage sites
1. ブラジルとサンパウロの話題あれこれ Topics about Brazil and Sao Paulo

今回からのシリーズは、南米のブラジルとペルーを中心とした旅です。

このシリーズでご紹介する話題の中には、「世界遺産」三ヶ所に加えて、
落語の三題噺ならぬ、「世界三大」話が、3つ含まれています。
「世界遺産」は厳しい条件をクリアしてユネスコに承認された公式なものですが、
「世界三大」のほうは非公式なもので、「いわゆる」という枕言葉がつきますね。

このシリーズに登場する「世界三大」話とは次の3つで、この順序でご紹介していきます。
・ 世界三大花木
・ 世界三大美港
・ 世界三大瀑布
皆さんがそれぞれ3つ選ぶとすれば、何、あるいは何処でしょうか。

さて、世界遺産巡りはシリーズの半ばからとして、
一回目の今回は、ブラジルとサンパウロの話題を、
世界三大花木の話も交えてピックアップしご紹介します。

ブラジルは、「遠くて近い国」です。
「遠い」というのは、もちろん移動距離と時間のこと。
何しろ日本とブラジルは地球の反対側に位置します。
最初に訪れたブラジルの産業と経済の中心都市サンパウロは、
地球上、東京の真裏に近いところにあります。直線で結べば地球のほぼ中心を通る。
(東京:北緯41度-東経140度、サンパウロ:南緯24度-西経47度)

直行便はなく、移動にはさらに時間がかかります。
成田からまず13時間近くかけてニューヨークに飛び、
アメリカの入国審査を済ませ、待ち時間を含め約5時間後のフライトで、
今度はサンパウロまで10時間近い飛行。
家を出てから30時間ほどで、やっとサンパウロに到着です。

「近い」というのは、両国の関係。
2008年はブラジルに日本人が移住を始めてから100周年を迎える記念すべき年でした。
日本からの移民は25万人に達し、今では日系2世や3世など140万人ともいわれる日系人が約1億9千万人のブラジル社会で活躍しているそうです。
最近は逆に、日本に出稼ぎに来ているブラジル人も多い。
昨今の世界的経済情勢の悪化で母国に帰らざるを得ない人が 増加しているのはまことに残念なことです。

2008年は「日本ブラジル交流年」とされ、さまざまなイベントが両国で行われました。

東京都現代美術館では、記念事業の一環として、この1月12日まで
「ネオ・トロピカリア:ブラジルの創造力」展が開催されています。

東京都現代美術館
http://www.mot-art-museum.jp/

ネオ・トロピカリア|ブラジルの創造力
http://www.neo-tro.com/

この展覧会は昨年末にブログでご紹介しています。
http://editors.ktai-supli.jp/?day=20081221

ブラジルは「多様性」の国。
「多様性」は21世紀の重要なキーワードのひとつですね。

ブラジル人は基本的に、先住民のインディオと、
新天地にやって来たポルトガル人を中心とするヨーロッパ系白人、
そしてつれて来られたアフリカ系黒人の3人種から構成されています。
その後、ポルトガル、イタリア、レバノン、そして日本人など
数多くの移民を受け入れてきました。
公用言語はポルトガル語ですが、人種間の混血が進み、
人種構成を調べること自体の意味が薄れているようです。

「多様性」は美しい女性を育むのにも役立っていますね。

ところで今回のサンパウロ訪問はサンパウロ大学での国際会議出席が目的なので、
観光写真がほとんどありません、そこで気のついたことを2,3書き留めてみます。

はじめてブラジルに足を踏み入れ、サンパウロ空港からバスで市内へと向かったときのことです。
ターミナルビルを離れ、市内へ向けてハイウェイを走っていきます。

このハイウェイに平行してやや南に、ブラジルの誇るサンパウロ出身の天才レーシングドライバー、アイルトン・セナの名前を冠した新しいきれいなハイウェイも通っているようです。
市内のイビラブエラ公園をくぐるトンネルにもセナの名前がつけられています。
空港には保証書つきレプリカのセナのヘルメットが飾ってありました。

先ほどのハイウェイをしばらく走って目に入ってきた大きな四角い建造物は、
なんと、刑務所とのこと。コンクリートの横に長く高い堅固な壁が見えていたのですね。
その昔、収容されていたギャングの大物が、ヘリコプターで見事脱出を遂げた、
という映画のような実話があるのだとか。
さすがスケールが違う、と妙に感心。
それにしても国際空港の玄関口にはいささかふさわしくないような。

そしてバスがサンパウロに近づくにつれ、これまた異様な光景が
ハイウェイの近くから遠くの山裾に向かって広がっています。
これが、かの有名な貧民街、ファベーラ。
あまりのスケールの大きさに驚かされます。

アマゾン地域などブラジルの貧しい地方から南の経済都市サンパウロに
生きる糧を求めてやって来る人々が後を絶たちません。
多くは市内に入れず、周辺地域にとどまっているようです。

南北問題というのは、通常、地球を眺めたときの
開発途上の南と経済発展の北との経済格差を指します。
一国の中でも、北半球だと南が貧しく北が豊かというのが一般的ですが、
赤道をはさんで南半球ではこれが逆転して、北南問題となるようです。
現在のルーラ大統領も貧しい地方から南のサンパウロにやってきた貧民の出とか。

BRICsの一角、ブラジルもさらに経済成長を遂げて、
その昔、日本がそうであり、今の中国がそうであるように、
地方の安い労働力を吸収しつつさらに発展することになるのでしょうか。

サンパウロは人口1,100万人。ブラジルそして南米最大の経済都市で、16世紀にポルトガルのイエズス会宣教師が宣教のために開き、キリスト教の聖人、聖パウロの名前を冠したサンパウロの町を創設しました。

聖パウロは異教徒でしたが、キリストの死後キリスト教信仰の道に入り、初代教会の創設に尽力して、世界宗教への礎を築いたそうです。
イエズス会の宣教師たちは、異国の地での布教活動が成功し、土地の人たちがキリスト教に帰依することを祈ってサンパウロの名前をつけたのでしょうか。
このポルトガル人の融和的な姿勢は、その後のサンパウロ、そしてブラジルの発展に大きく貢献しているに違いありません。

文字通りサンパウロを代表する目抜き通りのパウリスタ大通りには
高層ビルが立ち並びます。
中心街にはヨーロッパ調の教会や建物もあります。
写真の建物は、パリのオペラ座をお手本に100年前に建てられた市立劇場です。

また、サンパウロの西部の広大な敷地にあるサンパウロ大学の
経営・管理・会計学部のキャンパス内に入ったときのこと。
キャンパス内の車の制限時速は、なんと日本国内の一般道路を越える60km。
さすが広大な土地に広さと人口密度が違う(およそ25分の1)から、かな?

しかし単にスピード制限、といってもブラジルの人たちが聞くわけはありません。
そのため、スピードバンプ(スピードを落とさないとひどいショックを受ける路面上の出っぱり)が多く配置されていました。もちろん街中にも。

話変わって、今度は名物料理の話題。
ブラジルの名物料理は、いわずと知れたシュラスコ。

ウェイターが持って客席をまわり、注文に応じて削ぎ切りしてくれます、
残ったのは食べ残し用の皿に移して食べ散らかしてもかまわない、と
ひっきりなしに勧めてくれます。
日本人の、牛肉もったいない精神を一時忘れさせてくれます。

調理場を見せてもらいました。
牛肉のさまざまな部位や、豚肉、鶏肉などに荒塩をふり、炭火で大量に焼き上げて、 次から次へとダイニングルームに運びます。

次は、花のお話
ブラジルの9月は、日本の3月。日本なら早春ですね。
でもサンパウロのあたりは東京よりも緯度が低く、亜熱帯に近い気候。
早春といっても日本よりもずっと暖かい。
春になっていろいろな花が咲いています。
日本とはかなり植生が違います。

まずは「世界三大」話のトップバッター、世界三大花木のひとつ、ジャカランダです。
残り2つは、カエンボク(火焔木)とホウオウボク(鳳凰木)といわれています。
花木(カボク)とは、主に花を観賞し楽しむ樹木のこと。

ジャカランダは、ノウゼンカズラ科ジャカランダ属。
南米原産で、サンパウロでも街路樹として植えられるなど、至るところで見かけます。
紫色のつりがね型の可憐な花を木いっぱいにつけていました。


次にブラジルらしく、コーヒーの木の花。
白く可憐な花を咲かせています。

そして今回の締めくくりは、ブラジルの国花、イペー(ipe)です。
ブログでもご紹介しています。
http://editors.ktai-supli.jp/?eid=271845

この後の旅を先取りして、各地で撮ったイペーの写真をお見せします。

これはリオ・デ・ジャネイロで見かけたイペーです。

いろいろな色のイペーがあるようで、黄色いのはイペー・アマレーロ(ポルトガル語で黄色のこと)。
樹木は重く硬質で耐水性にも優れ、高級耐久材として利用されています。

こちらはイグアスで見かけたイペー。

ラッパのような形をした花もそろそろ散り時。

散ったあとにはさやが残り、種まきの準備です。
さやには薄く軽い種がたくさん入っていて、
風に吹かれて思い思いに自分の棲家を探して飛んでいきます。

さて次回は世界的な国際観光都市、リオ・デ・ジャネイロです。
本格的なビジターモードに切り替えです。