ブラジルとペルー:世界遺産を巡る旅
Brazil and Peru: A tour around the World Heritage sites
2. リオ・デ・ジャネイロ
Rio de Janeiro
前回の「世界三大花木」に続く2つ目の「世界三大」のお話は、「世界三大美港」です。
世界三大美港とは、グアナバラ湾(リオ・デ・ジャネイロ)、
サンフランシスコ湾(サンフランシスコ)、そして
ポート・ジャクソン湾(シドニー)というのが一般的。
ナポリ、香港、ジェノヴァ等の説もあり、ナポリその他もいいですが、私の印象はやはり最初の3つ。特に直近で見てきたグアナバラ湾は印象鮮やかです。
リオ・デ・ジャネイロとは、"River of January"、すなわち「1月の河」の意味。
約500年前の1月に最初にグアナバラ湾を見たポルトガル人が、河口と間違えて名付けたとか。
リオ・デ・ジャネイロは、サンパウロに次ぐブラジル第2の都市。
1822年から1960年のブラジリアへの遷都まではブラジルの首都でした。
1808年には、一時期ナポレオンの攻撃からポルトガル王室が逃れてきて、 国王が帰還する1821年まではポルトガルの首都だったこともあります。
王子が総督として残り、1822年にポルトガルから独立し、ブラジルの首都となりました。
紛争による大きな混乱もなく、交渉を中心に一つの国として植民地全体の独立が実現されたとのこと。
その点、抑圧的なスペインの植民地で激しい独立抗争が繰り広げられ、いくつかの国に分かれたのとは大きな違いです。
さて、リオ・デ・ジャネイロはサンバやボサノヴァが生まれるなど、 音楽ファンにも大変魅力のある街。
「リオのカーニヴァル」でも有名な国際観光都市でもあります。
これは、マルケス・デ・サプカイ通りにあるサンボドロモ。
両側の観客席に8.8万人収容出来ます。
左側のスタンドと1階が観客席。その間の2階が個室特別席。 右側に見えるのはマスコミやスタッフの席。その先には特別席が並びます。
全長650mの通りを3千人から5千人が構成するサンバ・チーム、エスコーラ・デ・サンバ(school of samba)ごとに踊り歩き、覇を競います。
2日間、21時から翌朝5時の予定で合計14チーム、6万人がチーム80分の持ち時間を踊り、練り歩くというのですから驚き。
予定通りに終わるわけはないし、一晩中翌朝まで熱狂する観客のエネルギーも凄い。
リオに限らずカーニヴァルは毎年2月後半に開催されます。 因みに今年は2月23日(月)と24日(火)。
この両日ブラジルは祝日扱いで、翌25日は大半の企業・機関は午前休とのこと。 さすが気合が違う・・・。
話変わって、次の写真はリオの中心部に1976年に建てられた近代的な教会、カテドラル・メトロポリターナ。
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エサを目当てに気軽に観光客の肩に。
これが、キリスト像が毎日眺めているリオと海。
アントニオ・カルロス・ジョビンのボサノヴァの名曲、♪コルコヴァード♪は コルコヴァードの丘が何と美しい、と詠っていますが、 上から見たほうが圧倒的にすごい。
そしてグアナバラ湾に突き出した半島に、にょっきり飛び出た奇岩、ポン・デ・アスーカルが見えます。
ポン・デ・アスーカルとは"砂糖パン"という意味。
ポン・デ・アスーカルの展望台のある頂上にはロープウェイを2つ乗り継いで向かいます。
さて、ポン・デ・アスーカルからの眺めも素晴らしい。
純白の砂浜が4.3kmのとても美しい弧を描いています。
アントニオ・カルロス・ジョビンのボサノヴァの大ヒット曲、 ♪イパネマの娘♪の姿はあるのでしょうか。
翌日、早朝のコパカバーナ海岸。
これはコパカバーナ海岸のアトランチカ大通り。
美観を守るためにはメンテナンスも重要。
ボサノヴァではありませんが、♪コパカバーナ♪という バリー・マニロウの軽快な大ヒット曲があります。
この曲は、ブロードウェイのスターを夢見る踊り子、ローラの物語。
ニューヨークのセントラルパークのすぐ近くにあった有名なナイトクラブ、 リオの海岸から名前をとった「コパカバーナ」がその舞台です。
でも元の場所から移転を繰り返し、今は休業中。
さて、移動の時間が迫っています。
イパネマ海岸も歩きたいと思いつつ、早朝散歩を早々に引き上げ、空港に向かいます。
次なる目標は、3つ目の「世界最大」話、そして最初の「世界遺産」、イグアスの滝です。