My Favorite Travels And Places
(私の好きな旅と場所)

19.モンテフリオ(Montefrio)


【はじめに】

モンテフリオ(Montefrio)は、グラナダ(Granada)から高速道路A-92で東に約35 kmのトコン(Tocon)を右折しA-355で約19km進んだ1時間ほどの距離に位置しています。

ポニエンテ(Poniente)地方のオリーブ畑が続く丘陵地帯の中を車で向かうと、白い村モンテフリオの美しい景観が広がって見えてきます。

モンテフリオは、紀元前からの歴史を持ちオリーブなどの栽培を主な産業とする人口約6,300人の静かにたたずむ白い村です。

<オリーブの丘陵をぬけてモンテフリオへ>



【アンダルシアを代表する白い村の景観】

モンテフリオは、アンダルシアの数ある白い村の中にあって、最も素晴らしい景観をもつ村の一つです。

紺碧の空にオリーブの丘の緑を背景に、煉瓦色の屋根の白い村が浮かんで見えます。

その中でもひときわ人の目を引くのは、16世紀に建てられた崖の上のゴシック様式とルネサンス様式とが融合した建築の、かつてのヴィラ教会(Iglesia la Villa)です。

<崖の上のかつてのヴィラ教会>

<モンテフリオの村からのかつてのヴィラ教会>



【歴史にきざまた光と影】

モンテフリオの美しい景観の源泉となっているのは、レコンキスタ(Reconquista:国土復興運動)とその後の歴史の変遷過程で醸成されたものです。

モンテフリオは、なだらかな丘陵地帯の中にあって、ローマ時代かのらの戦略上の要所として砦が築かれています。

14世紀イスラム.ナスル朝全盛期の7代王アブ・アブダラー・ユースフ1世(Abu Abdallah Yusuf I.1333-1354年)の時代に、北西ヨーロッパからのカトリック勢力の侵攻から首都グラナダと領有地を守る防衛拠点とし、彼の指揮のもとアルハンブラ宮殿のアルカサバ(Alcazaba:要塞)を建設した建築家たちにより、モンテフリオの崖の上に要塞が建設されます。

主塔に3ヶ所のパティオ(patio:中庭)を持ち2ヶ所の貯水槽を備えた本格的な要塞で、今日もその遺構が残っています。

<かつてのヴィラ教会(Iglesia la Villa)と遺構>


しかしモンテフリオは、レコンキスタにより1486年にカトリック勢力のカスティーリャ王国に征服され、その7年後の1492年にイスラム.ナスル朝の首都グラナダが陥落します。

そして15世紀に、かつての要塞の主塔が改修されサンタ・マリア教会(Iglesia de SantaMaria)が建設され、その後ヴィラ教会(Iglesia la Villa)として再改修されています。

このヴィラ教会(Iglesia la Villa)は、現在 村が管理する観光施設の展望塔となっています。

ここからは、白い村モンテフリオの街並みとその先に続くオリーブの丘陵が一望できます。

<かつてのヴィラ教会(Iglesia la Villa)からの白い村モンテフリオ>



【さわやかな風が光る白い村】

歴史にきざまれた光と影を持つモンテフリオですが、今日の展望塔(かつてのヴィラ教会)には、さわやかな風がながれ白い村が光りかがやくように見える、静かでおだやかな時間が実感できる私の好きな場所でもあります。



【参考図書】
・「南スペイン.アンダルシアの風景」川成洋.坂東省次 編 丸善(2005年)
・「FIGARO」スペインとイタリアの小さな町 アンダルシアとトスカーナ
阪急コミュニケーション(2009年)
・「グラナダ」スペイン政府観光局(2009年)
・「Montefrio」モンテフリオ観光パンフレット(2010年)





【作者プロフィール】
相馬正弘(そうままさひろ)
・京都市出身
・設計事務所を開設し、地域計画.都市計画.公園計画を中心に活動中
・大学の講師として後進の指導も
・趣味は、旅行.テニス

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ケータイ・サプリwebマガジンのための書き下ろしです。
使用されている写真の著作権は相馬正弘さんと記載されている方にあります。