My Favorite Travels And Places
(私の好きな旅と場所)

22.サンルーカル デ バラメーダ (Sanlucar de Barrameda)

  その1 コロンブスとマゼランとサンルーカル デ バラメーダ


【はじめに】

今回から3回に渡り、アンダルシア州 サンルーカル デ バラメーダを訪ねます。

サンルーカル デ バラメーダは、スペイン最西南端の大西洋に面するカディス県(Cadiz)の港街で、カゾルラ山脈(Sierra de Cazolra)を源とし、コルドバ(Cordoba)やセビージャ(Sevilla)を流れ大西洋にいたる、全長657kmのグアダルキビール川(Rio Guadalquivir)河口に位置しています。

サンルーカル デ バラメーダをご存知でない方も、コロンブスとマゼランにシェリー酒(Jerez)は、ご存知のことと思います。

又、グアダルキビール川河口の三角州に広がるドニャーナ国立公園(Parque Nacional de Donana)は、73,000haに及ぶスペイン最大の国立公園で、ヨーロッパでも最も貴重な自然地で自然遺産の一つとして世界遺産にも登録されています。

サンルーカル デ バラメーダで育まれた歴史と文化と自然について、三回に渡りまとめます。

その1. コロンブスとマゼランとサンルーカル デ バラメーダ
その2. シェリー酒の里サンルーカル デ バラメーダ
その3. ドニャーナ国立公園

:クリストファー コロンブス
(Cristoforo Colombo= Christopher Columbus:1451-1506年) イタリア人の探検家で白人として最初にアメリカ海域に到達した航海者.奴隷商人としても知られています。

:フェルディナンド マゼラン
(Ferdinand Magellan:1480-1521年) ポルトガルの探検家で南アメリカ大陸最南端の海峡(マゼラン海峡)を発見し、初めてヨーロッパ から西回りで太平洋に抜けています。彼は、航海の途中で戦死しますが、残された艦船とフアン セバスティアン エルカーノにより世界一周を達成します。

:フアン セバスティアン エルカーノ
(Juan Sebastian Elcano:1486-1526年)スペインの探検家でマゼランの死後艦船を引き継ぎ1522年に史上初となる世界―周の航海を達成します。

<グアダルキビール川河口からのサンルーカル デ バラメーダ>


<シェリー酒の酒樽(マラガのレストラン)>


<ドニャーナ国立公園の木道>



【大航海時代の先駆け】

今回は、コロンブスとマゼランとサンルーカル デ バラメーダを通し中世スペインの歴史とその背景をたどります。

コロンブスは、新大陸発見のための3度目の航海に、又マゼランは、世界一周の航海に、ここサンルーカル デ バラメーダから出帆しています。

そして、15-17世紀にかけて築かれたヨーロッパの大航海時代の先駆者で、スペイン黄金時代の礎ともなる足跡を残しています。


【コロンブスとマゼランと中世スペインの時代背景】

紀元前からのローマ帝国の支配下にありカトリック教徒の地であったイベリア半島に、イスラム教徒のアラブ人(ムーア人)がアフリカから地中海を渡り711年以降イベリア半島を支配します。

彼らは、イスラム文化とカトリック文化を融合させた独自の文化や様式(ムハルデ様式)を醸成しスペインらしさとしての建築や街並みに社会を築きます。

しかし718年から始まるカトリック教徒によるイスラム教徒からのイベリア半島の解放と奪還のためのレコンキスタ(Reconquista:国土回復運動)により、1492年再びカトリック教徒の支配下にイベリア半島を奪還します。

1469年にカスティリア王国イザベル1世女王とアラゴン王国フェルナンド2世国王との結婚により生まれた、現在のスペイン王国の礎となる統一国家により、1492年1月6日ナスル王朝の首都グラナダのアルハンブラ宮殿が陥落され、イスラム王国は崩壊しレコンキスタも終結します。

:カスティリア王国イザベル1世女王
(Isabel I de Castilla:1451年-1504年)

:アラゴン王国フェルナンド2世国王
(Fernando II de Aragon:1452-1516年)

しかし、カスティリア王国とアラゴン王国の統合により生まれた統一国家は、二国のそれぞれの社会機構や歴史と文化の違いに加え、異教徒で当時の経済を担っていたユダヤ人 のコンベルソ(Converso)や、イスラム教徒がカトリックに改宗したモリスコ(Morisco)達 がイベリア半島に留まったことにより、経済問題と宗教問題をかかえる不安定な社会情勢 を持ったスペイン王国となります。

そして、より富める大国への道が安定した国家の存続と王権の継承を図るための国策とし、軍事力の強化と領土と植民地の拡大へと進んでゆきます。

こうした時代背景と政治的背景に呼応するかのようにコロンブスとマゼランは、新たな領土と植民地の獲得の旗手として社会的要請を受けることになります。


【コロンブスの航海】

コロンブスは、スペイン王国繁栄の期待を受け、さまざまな支援と提督としての地位と 新大陸発見の分配権を得て4度の航海に出ています。

しかしコロンブスの航海は、スペイン王国の期待にも自身の期待にも答え得るものではなかったようです。

艦船の沈没や乗組員の死亡に反乱など、苦難の連続で航海の成果が上げられないことなどから、寄港地で捕虜とした原住民を成果の証としスペインに連れ帰り奴隷として売ってもいます。

1498年3度目のサンルーカル デ バラメーダからの出帆の折には、船員が集まらず囚人に恩赦を与え乗船させたと言われています。

この3度目の航海の途中、コロンブスに対する疑惑が持ち上がり航海中に逮捕されます。

彼は、スペインに強制送還され、サンルーカル デ バラメーダの地に投獄されています。

<コロンブスが投獄された館>





<コロンブスが投獄された館は、現在ホテルとして改築されています。>



支援者の口添えとイザベル女王への直訴により釈放され、航海者としての地位を取り戻し4度目の航海に出ますが、その成果を上げることなく帰国し、1504年に亡くなるイザベル 女王の後を追うように1506年に病死します。


【マゼランの航海】

イザベル1世女王とフェルナンド国王からスペイン王国を継承したカルロス1世にマゼランは、西廻りの航路の開拓と世界一周の航海を提案し、国王の支援を受け1519年5隻の艦船と265名の乗務員でサンルーカル デ パラメーダを出帆します。

:カルロス1世
(Carlos I:1500年-1558年)

マゼランは、一路南アメリカに向かい南下し最南端の海峡(マゼラン海峡)を抜け太平洋を渡り航海を続けます。

しかし彼は、フィリピンでの戦闘で戦死します。

彼の航海を引き継いだフアン セバスティアン エルカーノによりアフリカ大陸の喜望峰を廻り艦船は、スペインへ帰還します。

フアン セバスティアン エルカーノにより、マゼランが唱えた地球が球体であることと世界一周の航海を実証することとなります。

又、今日の太平洋の名称は、マゼランにより平和の海(El Mare Pacificum)と呼ばれたことにちなんでいます。


【コロンブスとマゼランのその後】

コロンブスとマゼランの航海は、国策や国家.王権保全のもとにその功績が称えられる一方、苦難の航海であったと云えます。

しかし、彼らの航海による可能性は、多くの航海者や探検家を触発しヨーロッパにおける大航海時代へと発展します。

後のアメリゴ ヴェスプッチの北アメリカ大陸の発見やフランシスコ ピサロの南アメリカ大陸探険によるインカ帝国の発見に、エルナン コルテスによるキューバ.メキシコなどの発見は、文明の滅亡や資源の搾取に原住民の虐殺などの多くの犠牲との引き換えに、中ヨーロッパの繁栄をもたらします。

しかし、やがてこの繁栄が中世ヨーロッパの覇権争いへと展開もします。

:アメリゴ ヴェスプッチ
(Amerigo Vespucci:1454年-1512年)

コロンブスやマゼランがアジアと考えていた北アメリカを新大陸として発見します。 :フランシスコ ピサロ
(Francisco Pizarro:1470年-1541年)
南アメリカ.ペルーを探検しインカ帝国を発見しますが、彼の侵攻はインカ文明滅亡への引金ともなります。

:エルナン コルテス
(Hernan Cortes:1485年-1547年)
スペインの探険家で、キューバやメキシコを統治しますが、彼の侵攻はアスティカ文明 滅亡の引金ともなります。


【コロンブスとマゼランのサンルーカス デ パラメーダ】

コロンブスとマゼランの苦難は、彼ら自身と海とサンルーカス デ パラメーダの港だけが知っているのかも知れません。

現在も彼らの時代と変わることのない美しい街サンルーカス デ パラメーダは、微笑んで いるようにも見えます。

そしてサンルーカス デ パラメーダは、航海に命をかけた大航海時代の先駆者を偲ぶ歴史を秘めた私の好きな場所でもあります。

<セビージャ.インディアンス公文書館での「領海と公海」の展示パンフレット
(この公文書館には、コロンブスやマゼランの自筆文書が保管されています)>







【参考図書】
・「コロンブス航海誌」 林屋栄吉・訳 岩波文庫(1977年)
・「スペインの黄金時代」立石博高・訳 岩波書店(2009年)
・「マゼランが来た」  本多勝一・著 朝日新聞出版(1989年)
・「図説 スペインの歴史」川成洋 著、宮本雅弘 写真 河出書房出版(1999年)
・「FIGARO」スペインとイタリアの小さな町 アンダルシアとトスカーナ
阪急コミュニケーション(2009年)






【作者プロフィール】
相馬正弘(そうままさひろ)
・京都市出身
・設計事務所を開設し、地域計画.都市計画.公園計画を中心に活動中
・大学の講師として後進の指導も
・趣味は、旅行.テニス

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ケータイ・サプリwebマガジンのための書き下ろしです。
使用されている写真の著作権は相馬正弘さんと記載されている方にあります。