My Favorite Travels And Places
(私の好きな旅と場所)

27.アラン諸島(Aran lslands)
その-3. アラン諸島の近代化と課題


【はじめに】

前回は2回に渡り、アラン諸島の土づくりからはじまる伝統的な生活と、アランセーターのデザインが生まれてきた背景とその歴史についてまとめました。

今回は、アイルランドとアラン諸島の宗教とその歴史的背景を紐解き、その後の社会や生活にどのような影響をおよぼし、どのような課題を提起したのかをアラン諸島の近代化に視点をあて考えてみたいと思います。


【宗教とその歴史的背景】

最初に、今日のアイルランドの精神的規範となっている宗教とその歴史的背景の遷移についてまとめます。

アイルランドの紀元前の先住民族は自然崇拝の多神教で、その後紀元前3世紀頃中央ヨーロッパから移り住んできたケルト民族の自然崇拝を基本的な考えとするドルイド教とも融合し共存します。

432年ローマ.カトリックの教皇ケレスティヌスT世(Caelestinus I :不明-432年)からの布教の命を受けた、聖パトリック(St.Patrick :387-461年)によりキリスト教(カトリック)がアイルランドにひろめられます。

聖パトリックがキリスト教(カトリック)の神(イエス.キリスト)を意味する「父と子と聖霊」とが一体であることを表す言葉、三位一体(Trinity)を説くのに用いたクローバー(Shamrock=三つ葉のシロツメグサ)の緑と三枚の葉は、現在アイルランドのナショナルカラーと国のシンボルの花とされています。

彼は、アイルランドの守護聖人として人々に崇められ、北アイルランドのダウンパトリック大聖堂(Downpatrick Cathedral)に眠っています。

そして命日である3月17日は、アイルランドで最も盛大な祝日となっています。

<ダブリン.聖パトリック大聖堂>



アラン諸島では、450年に聖パトリックから洗礼をうけた南部ムンスター地方のエンガス国王(King Oengus Mac Nad Froich :不明-489年)が、領有地のアラン諸島イニシュモアの土地を、聖エンダ(St.Enda: 不明-530年)に提供しキリー二ー修道院(Killeaney Abbey)が築かれキリスト教(カトリック)の布教活動が始められます。

聖エンダは、厳格な信仰と自給自足の生活の中で修道院(学校)を中心に修道士の教育と養成に尽力し、その後島内に10ヶ所の修道院を築きます。

アラン諸島の修道院で修行と学識の研鑽を積んだ多くの聖人や修道士達が、この地からアイルランドはもとよりヨーロッパ各地に布教活動に旅立っています。

< 6世紀の初期キリスト教修道院跡(クロンマクノイズ)>


そうしたことから当時アラン諸島は、「聖人の島」と呼ばれるようになり、アイルランドの聖職者達にとってのエルサレム.ローマに次ぐ巡礼地ともなります。

この時代のキリスト教(カトリック)が影響を及した意義の一つに、文字を持たなかった先住者のケルト人の間で文字が使われるようになり、福音書の写本などが行われ、ケルト文化と一体となった装飾写本「ケルズの書」などが残されます。

ケルズの書(The Book of Kells)
 :ダブリン/トリニティー.カレッジの旧図書館(Trinity College Old Library)に
  所蔵される、9世紀にバイキングなどからの略奪から、イエス.キリストの
  言行録を記した福音書を守るため、ケルズ修道院で製作されたケルト模様の
  施された装飾写本。

そして、先住者であるケルト人のドルイド教とキリスト教(カトリック)とが融合した独自の文化や生活様式も残しています。

しかし、8世紀以降修道院を中心としたキリスト教(カトリック)から、ローマ.カトリックの教区と教皇を中心としたキリスト教(カトリック)が台頭したことや、バイキングやアングロノルマンの侵略を受けたことなどから、宗教も政治も混沌とした時代になります。

加えて、ローマ.カトリックを離れ宗教革命(1533-1534年)を断行した英国王ヘンリー8 世(Henry [:1491-1547年)の支配下に置かれたことなどから、ほとんどのキリスト教(カトリック)施設が破壊され英国国教会に建て替えられます。(建て替えられた英国国教会施設の一部は、カトリックの施設として現在再び使われています)

又、カトリック刑罰法の施行により、土地や財産が没収され、アイルランドのカトリック教徒との婚姻やゲール語使用の禁止などの迫害や差別を受けてもいます。

中世の時代は、領有地の略奪や宗教や政治の主導権争いに加え、1348年の黒死病(ペスト)の流行や飢餓に民衆は不安定な生活に翻弄されます。

しかし一方で、バイキングやアングロノルマンの人々により築かれたダブリン(Dublin).コーク(Cork).ウォターフォード(Waterford).リムリック(Limerick)などの主要な都市は、その後アイルランド発展の礎ともなっています。


【領有地と土地所有】

アイルランドでは、1922年の独立までの間、国を統一する主導者が現れず、絶えず領主や諸侯の間で領有権争いが繰り返されたことや、バイキングやアングロノルマンの侵攻に英国の支配と植民地政策などにより、領有権がめまぐるしく移り変わります。

19世紀には小作の農民達の間から借地問題による紛争が各地で勃発します。

アラン諸島へも1819年に本土での借地問題を解消するための移住が進められ、今日の集落が形成される魁となります。

1845年には、主食である馬鈴薯の病害により約100万人が餓死する飢饉にみまわれます。

又この飢饉から逃れるため、約100万人が英国やアメリカに移住し人口が約410万人に減少します。(現在アイルランドと北アイルランドを合わせた人口は約560万人)

アラン諸島では、1841年に3529人を数えた人口が1986年には1339人に激減します。(現在のアラン諸島の人口は、3島合わせて約1300人)

1880年代には、小作の農民達の間から自作と個人の土地所有を認める土地改革運動の気運が高まり、アラン諸島でも1900年代に地主が土地を売却し、個人所有の自作の農業が定着し今日にいたっています。


【アラン諸島の近代化】

アラン諸島の半農半漁の定住が本格化するのは、1819年本土での借地問題を解消するための移住に始まったと言えます。

その時代から約200年を経過した現在アラン諸島の人々の生活基盤には大きな変化がみられ、特にここ50年間の近代化は様々な今日的課題も提起するにいたっています。

アラン諸島における近代化の足跡をまとめ、今日的課題を整理しアラン諸島の旅を締めくくりたいと思います。

・1934年: 「Man of Aran -アラン-」
 ドキメンタリー映画 監督:Robert J. Flaherty
・1940年代: イニュシュモア.イニシュマーン2島に防波堤と港湾整備により、
 ゴールウェイから蒸気船が就航。 (イニュシュアは1960年代に整備)
・1969年: Air Aranの小型チャター機がゴールウェイからイニシュモアに
 飛ぶようになり、その後3島を結ぶ定期空路がコマネラ空港との間に開設。
・1970年代:電気設備整備により3島に電気の供給。
・1980年代:水道施設整備により3島に水の供給。
・2000年: 高速大型フェリーの就航による物資や観光客の大量輸送の開始。

<イニシュモア.キルロナン港と高速船>

<小型機専用のイニシュモア空港>



1940年代には、観光客が訪れることもなかった半農半漁の自給自足による生活の地から2010年代には、年間約20万人が訪れる観光地へと一変します。

そして、一次産業を基幹としていた生活は、三次産業の観光を基幹とした生活へと急変します。

かつての農業や漁業の担い手の多くは観光ガイドやドライバーとして、夫や家族のために編まれていたアランセーターの担い手は、B&Bやみやげ物店を切り盛りする女将さんに、海藻を石灰岩の岩盤の上に敷きつめわずかの砂とを混ぜ合わせて造られた土壌の畑は、人工土壌によるビニールハウス栽培に取って代わり、自給自足の食料品や日用品もスーパーで容易に調達が可能となっています。

電気自動車が走る新しい住居やB&Bのあいだからは、耕作が放棄された農地や藁ぶき屋根の落ちた廃屋も目にもつきます。

かろうじて、人々が積み上げ延々と伸びる石垣とその先の紺碧の海をのぞむ漁師の墓標が、ありし日のアラン諸島の原風景をしのばせています。


<海に向かって立つ海難者の墓標(イニシュモア)>




【悠久のアラン諸島】

便利さが豊かさや幸せと同義と理解される近代化には様々な今日的課題も包括しています。

かけがえのない自然と何千年を架けて築かれてきた生活の中から生まれた伝統や文化とアイルランドの言葉(ゲール語)や美しい景観は、アラン諸島にしかないアラン諸島の魅力であり、グローバル化の流れや標準化などの一元的思考に対極する事象や心象であるとも言えます。

アラン諸島が近代化の便利さとも共存し、人の思いやぬくもりが伝わってくる歴史と時代が継承されてゆくことを願うばかりです。

何千年の苦難の歴史と時代を乗り越えて来た、人々の静かな微笑みと喜びが伝わってくるアラン諸島は、私の大切な場所でもあり好きな場所でもあります。


【参考図書】
・地球の歩きかた「アイルランド」 ダイアモンド社(2010年)
・「アラン島」John Millington Synge 著 姉崎正見 訳 岩波文庫(1995年)
・「Man of Aran -アラン-」ドキメンタリー映画 イギリス作品(1934年)
 監督.撮影:Robert.J. Flahety
・「AGORAM -Aran Island・時を紡ぐ島-」9月号 
 日本航空インターナショナル(2011年)
・「翼の王国 -アランセーターの伝説を追って-」全日空機内誌11月号
 全日空「翼の王国」編集部(2011年)
・紀行アランセーター 伊藤ユキ子 著 昌文社(1993年)
・アイルランド/アランセーターの伝説 野沢弥市朗 著
 セヴィルロウ倶楽部(2002年)
・「アラン諸島の民俗学」(Ethnography of Aran Islands)
 Charls Robert browne 著 The Royal Irish Acadmy(1893年)





【作者プロフィール】
相馬正弘(そうままさひろ)
・京都市出身
・設計事務所を開設し、地域計画.都市計画.公園計画を中心に活動中
・大学の講師として後進の指導も
・趣味は、旅行.テニス

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ケータイ・サプリwebマガジンのための書き下ろしです。
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