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(私の好きな旅と場所)


35.クロンマクノイズ(Clonmacnoise)

【はじめに】

今回は、アイルランド島のほぼ中央に位置し現在も交通の要所.基点となっている アスローン(Athlone)の南約14kmのシャノン川(River Shannon)沿いに静かにたたずむ 初期キリスト教(カトリック)遺跡のクロンマクノイズ(Clonmacnoise)を訪ねます。

<クロンマクノイズの位置>



クロンマクノイズは、車でダブリンから西のゴールウェイに向かって約120km高速道路M-6を1時間15分程のアガフィン(Agafinn)IC.で降り地方道R-444を西南に約10km 20分ほど走った小高い丘の麓に姿を現します。

< クロンマクノイズのハイクロスとシャノン川>(写真:船山眞紀子)



ダブリンからの特急列車では、約1時間30分程のアスローン駅が最寄り駅となります。

アスローンからの公共交通機関は、シャノン川のクルーズ船のみで、しかも4〜9月みの運行でかつ不定期な為タクシーがお勧めです。

タクシーは、アスローンからの往復と1時間程の見学待時間を合わせて2時間余りです。

【クロンマクノイズの創建と発展】

クロンマクノイズは、聖キアラン(St.Ciaran:516-549年)により548年に創建されます。

聖キアランは、アイルランドにキリスト教(カトリック)を432年に伝え広め、今日も国の守護聖人と崇められる聖パトリック(St.Patrick:387-461年)の意志を受け継いだアイルランド12聖人の1人です。

彼は、聖エンダ(St.Enda:不明-530年)が築いたアラン諸島イニュシュモア島の聖エンダ修道院で聖エンダをはじめとする数人の聖人らと修行を重ねた後、本島のクロナード修道院で聖フィ二アン(St.Finian470-549年)のもとで研鑽を積みます。

そして聖エンダの命を受け聖キアランと同胞8人が、クロンマクノイズに寺院の建設を始めます。

一帯は、紀元前からのドルイド教を信仰する先住民族や中央ヨーロッパから移住してきた自然信仰のケルト人が生活を営んでいましたが、聖キアランらの解くキリスト教(カトリック)とも融合し同化もしてゆきます。

紀元前からこの地域を平定していた、先住民族でアイルランド国王のタラの王ディアミット.マック.ケルヴァル(Diarmait mac Cerbaill:不明-565年)らをはじめとする権力者らの聖キアランに対する信望もしだいに厚くなり、やがて彼らからも加護と寄進を受けるまでにいたり、クロンマクノイズに木造の小さな寺院が548年に完成します。

一帯の人々とも力を合わせ寺院の建設を進める一方、生活を支える農場や牧場等の整備も進みクロンマクノイズは、小さなコミューン(Commune=共同社会)としても発展してゆきます。

しかし聖キアランは、最初の寺院が完成した翌年の549年に33歳で亡くなり、自らが建てた聖キアラン寺院と名付けられた木造の小さな寺院に埋葬されます。

そして、歴代のアイルランド国王(タラの王)や権力者も聖キアランと共にこの地に埋葬されたことなどからクロンマクノイズの社会的役割もしだいに大きなってゆきます。

その後の8-11世紀にかけても国を継承する国王や権力者の加護と寄進などにより木造から石造の寺院や教会などに改築や増築がかさねられてゆきます。

やがて2000人余りのコミューンともなり、クロンマクノイズはアイルランドにおける宗教.政治.文化.学術.芸術などの中心的役割を担うほどに発展もします。

【クロンマクノイズの主な遺跡とその特徴】

クロンマクノイズは、アイルランド初期キリスト教(カトリック)の最も代表的で特徴的な遺跡の1つと言えます。

1877年国定遺跡に指定され、現在デュカス(Duchas:アイルランド芸術.遺跡.ゲール語.伝統サービス局)により管理され、中世に破壊された遺跡の保護や修復を行っています

<初期キリスト教(カトリック)遺跡の主要施設>



現在クロンマクノイズの主要な遺跡には、大聖堂・3基のハイクロス・2基のランドタワーと7つの寺院が石積みで囲まれた中に残されています。

そしてその外側にも墓地や教会が見られに、かつての農場や牧場の跡地等も点在して残っています。

又、隣接する小高い丘の上に13世紀にイギリスのアングロノルマン人が築いたクロンマクノイズ城もその面影を留めてもいます。

主なクロンマクノイズの初期キリスト教(カトリック)遺跡の特徴を、維持.管理.運営にあたるOPW.(Office of Public Works)の解説書を参考にまとめます。

・大聖堂(Cathedral)
909年タラの王フラン.シンナ(Flann Sinna:848-914年)とクロンマクノイズ修道院長コールマン(Colman:不明)により建設され、1450年代には暖炉のある宿泊施設を備える大聖堂となります

アイルランド国王タラの最後の王やその親族らも埋葬されています。

・十字架(High Cross)
クロンマクノイズには、3基のハイクロス(高さ約4-3.7mの十字架)があります。

先住民族やケルト人の自然信仰の象徴である太陽の円環とが組み合わされた十字架で、キリスト教(カトリック)の教義がケルトの模様(彫刻)などとあわせて刻まれています

:聖書の十字架(Cross of Sclptures)
900年頃に製作された高さ約4.0mほどの石の十字架で、アイルランドに残されるハイクロスの中で最も美しい十字架とされています。


表面には聖書の物語が彫刻されています。
オリジナルはビジターセンターに保護展示され、大聖堂前の聖書の十字架はレプリカが展示されています。

:北の十字架(North Cross)
800年頃に製作された石の十字架でケルズの書(Book of Kells)に類似したケルトの抽象的模様や人間や動物が彫刻されています。

:南の十字架(South Cross)
9世紀頃に石灰石で製作された高さ約3.7mほどの石の十字架で、ケルトの交差模様や螺旋模様等の抽象的彫刻がされています。

<聖書の十字架と大聖堂>(写真:船山眞紀子)



・ランドタワー(Round Tower)
アイルランド初期キリスト教(カトリック)遺跡に特徴的に見られる施設で、目印としてのランドマーク・鐘楼と考えられていますが、貯蔵庫・避難場所あるいは侵略時の見張り楼などとして使われたのではないかと考えられてもいます。

クロンマクノイズには、2基のランドタワーが落雷などにより被害を受け中世に再建されています。

<ランドタワー>



・寺院(Temple)
クロンマクノイズには、7つの寺院が残されています。

:聖キアラン寺院(Temple Ciaran)
クロンマクノイズの創建者聖キアランが埋葬されている寺院。
548年に建てられた木造の小さな寺院を10世紀頃に石造の寺院に建てかえられていますが、内部は縦3.8m横2.8mの小さな寺院です。

:ケリー寺院(Temple Kelly)
木造の寺院を1167年に石造に再建されますが、現在は崩壊しその基礎の一部が残っています。 :メラフリン寺院(Temple elaghlin)
1200年頃に建設されたミースの王メラフリン一族に関係する寺院とされています。

:コナー寺院(Temple Connor)
1200年頃に建設された寺院で、18世紀以降アイルランド国教会として使用されるようになり現在も使用されています。

:フィギン寺院(Temple Fighin)
1160-1170年の間にランドタワーと一体となって寺院が建設されますが、その後火災の被害を受け石造に改築されています。

:ドウェリング寺院(Temple Dowling)とハルパン寺院(Temple Hurpan)
ドウェリング寺院は、11世紀に建てられていた石造の寺院を1689年にドウェリングにより改築されたことにちなんだ寺院です。

ハルパン寺院は、17世紀または18世紀に増築された寺院です。

:修道女の教会(Nuns Church)
墓地の東500mほどの場所に修道女の教会が残されています。1167年に建設されますが19世紀に美しいロマネスク様式により再築されています。

【壮絶なクロンマクノイズの中世】

アスローンやクロンマクノイズ一帯は、アイルランドのほぼ中央に位置し交通の要所であったことに加え街道とシャノン川とが交差することなどから、領有地や覇権争いの地とされ、しばしが戦闘や侵略が繰り返されてきています。

クロンマクノイズも、8-12世紀の間にアイルランド人から27回.バイキングから6回.イギリスのアングロノルマン人から7回に及ぶ侵略のための攻撃をうけた事が記録されています。

イギリスのアイルランド統治と植民地化を目的とし1171年にイングランド国王ヘンリー二世(HenryU:1133-1189年)が赴いて以来、イギリスの政治介入がはじまり、時を合わせるようにクロンマクノイズの衰退が始まります。

1202年にアスローン城が1214年には隣接する小高い丘にクロンマクノイズ城がいずれもイギリスの戦略上の要塞として築城されます。

<小高い丘の崩壊したクロンマクノイズ城>



そして1552年アスローン城からクロンマクノイズに攻め込んだイギリス軍により攻撃を受けたクロンマクノイズの寺院や教会はほとんどが破壊され侵略されてしまいます。

又、1649年イギリスのオリバー.クロムウェル(Oliver Cromwell:1599-1658年)によるアイルランド侵攻により、政治的.宗教的にも迫害を受けアイルランドのキリスト教(カトリック)は壊滅的な打撃を受ける事となります。

以来、1949年イギリス連邦から離れ共和制国家アイルランドが独立をはたすまで、苦悩の歴史を重ねます。

【生きつづけるクロンマクノイズ】

私達は、観光でクロンマクノイズのアイルランドの初期キリスト教(カトリック)遺跡を訪れます。

しかし、アイルランドの人々にとっては、聖人キアランや国王であった歴代のタラの王たちが埋葬されている聖地として、創建以来約1400年以上もの間巡礼や参拝の人の絶えることの無い地となっています。

墓地にも処々に花が供えられ、敬謙で信仰心の深いアイルランドの人々の心をまのあたりに見る思いのクロンマクノイズは、クリスチャンではない私の心までを清らかな思いにしてくれる私の好きな場所でもあります。



【参考図書・引用図書】

・地球の歩きかた「アイルランド」 ダイアモンド社(2010年)
・「旅」(アイルランド美しき旅) 新潮社(2009年)
・「クロンマクノイズ解説書」OPW.(Office of Public Works) 2011年












【作者プロフィール】
相馬正弘(そうままさひろ)
・京都市出身
・設計事務所を開設し、地域計画.都市計画.公園計画を中心に活動中
・大学の講師として後進の指導も
・趣味は、旅行.テニス

新連載「My Favorite Travels And Places(私の好きな旅と場所)は
ケータイ・サプリwebマガジンのための書き下ろしです。
使用されている写真の著作権は相馬正弘さんと記載されている方にあります。